bk-pacha’s blog

私は島根の吉賀町でツル科の植物を使って「かご」を作っている者です。

再びカゴ作りを始めようと決意したものの・・・

私は、今後どこでカゴ編をするのだろうか。

考えるうちに改めて津和野の「つづら工房」から持ち帰ったツルを見た。

すると、ツルに虫やカビが生えていたのだ。

これは大変な事に成ったと思った。

この課題を克服しない限り、次のステップは踏めない。

 

いったいどうする!

 

具体的に案を練った。

いくつかの工程を加える以外ない。

それには、ある程度の設備が必要だ。

当然膨大な費用がかかる。

其の上、設備が整ったからと言って、課題の克服に繋がるという保証はない。

全身が硬直した。

お金はない。借り入れに頼る以外ない。

そこには、女性であり、嫁であるが故の厳しい現実があった。

 

そんな中、私は既に線を引き始めていた。

最低限の設備を整えるためには、どの程度のスペースが必要で、どのくらいの費用が掛かるのか知りたかった。

繰り返し、繰り返し書いた。大工さんの指示に従って書いた。

「うん、出来るかもしれん。」

そして、正式な図面が引かれ、見積もりが出た。

 

 

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やはり作りたい! 作り続けたい! と強く思った。

「ワイルドアート展」終了後、友の存在の大きさに改めて深く感謝した。

そして、動かなかった私の手が又動き出した。

大丈夫! 出来る! と自分に言い聞かせた。 そして・・・

 

1998年 再び津和野の「ぎゃらりー・与兵衛」で作品展をさせて頂いた。

    ここでもまた、友人が全面的に協力してくれた。

ありがとう! 友よ!

 

あなた方のお蔭で再び立ち上がれました。

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私は津和野を引き上げました。

1994年 様々な事が重なり、私はその重圧に耐えきれませんでした。

    もう二度と立ち上がれないと思ったものです。

 

1995年 一年間は、何も考えられませんでした。

    思い出しては只、涙していました。

 

1996年 その涙も枯れ果てた時、「つづら工房」での残骸に目を向け、改めて

    このままでいいのだろうかと考えるように成りました。

    私は、自分が生涯歩み続けると決めていた「つづらみち」をここで断つのか

    と、自問自答を繰り返すように成り、思い切って友人に全てを打ち明ける

    決心をしました。

    友人は益田と出雲の人で、わざわざ柿木村まで来てくれました。

    随分、話しました。

    やがて友人は、

    「ふーーん、ちづるさんは、それで止めるの?」「止められるの?」

    「いえ、きっと止められないわ!」

    「こんなところでグズグズしてないで、何かしましょう!」

    「そう! 作品展がいいわ!」

    「岩国の鍛造の彼と私のとちづるさんのつづらで、作品展をしましょう。」

    「場所はここ! 柿木村で!」

    

友人の熱い思いが全身に伝わり、本当に有難かった。

辛かったことも、理不尽なそれも、全てかなぐり捨てて友人に支えられ

再び作ろうと決心した。そして、この時頂いた御恩は絶海に忘れないと思った。

今でも、感謝しています。

 

かきのきむらの「ふれあい会館」で「ワイルドアート展」

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柿木村の小学校の生徒さん、保育園児さん、遠方の方から地域の方まで等、沢山の方にご来場頂きました事、まるで昨日のように思い出します。有難うございました。   

 

 

 

 

    

津和野の「つづら工房」を止める。

1994年 観光地のため、全国からお客様がこられました。

    温かいお言葉も数々頂きました。

    

    同時に、私と同じものを作りたい人が来られるように成り、後に

    「私も作ったのよ!」

    「いや、家では材料はとったものの、編めないのでカズラは捨てた。」

    自然界に失礼のないようにと心掛けている私にとっては、

    いささか、胸が痛む思いがしました。

 

    その上、わすれもしない衝撃的な一瞬の出来事がありました。

    その出来事から二か月くらい後のことです。

    野山で採れたツル科植物で作られたカゴが、雑貨用品として、

    至る所で販売されるように成りました。

    

    私の手は動かなく成りました。

 

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津和野町でも地域の方によくして頂き、沢山の友人もできました。

1992~1994  この間、作品展もさせて頂くように成りました。

       * 町内のギャラリーをお借りして作品展をさせて頂きました。

       * コミュニティーコミュニティーセンターで友人と作品展をさせ

         て頂きました。

       * 倉敷の方との出会いを頂き、倉敷のお店でも作品展をしました。

       * ステーションギャラリー広島でも友人と作品展をしました。

       * バラ展にも何度か参加させて頂きました。

        まだ若かったからでしょうか、今思い返すとよく動けたものだと

        関心します。

       

       友人はジャンルの違いはあるものの、物づくり仲間でした。

              よく、共に出かけました。

 

写真で顔が赤いのは「かぶれ」です。常にこんな顔をしていました。☺

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津和野町に「つづら工房」出店

1992~1994

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もっと多くの方の反応がみたくなり、自宅から通える範囲で人が沢山来られるところ。

と思ったとき、津和野以外にないとの判断をししました。

観光地津和野なら全国から人が来られる。空き店舗はすぐにみつかりました。

当時、真新しいそれは人の目を引きました。通行人の中には

「あれは何かい、あねえなもので商売が出来るんかい、わっははは!」

「原始人のようなことをするねえ。」等々

その反面、アドバイスや励ましの言葉を沢山頂きました。

私の期待通りの反応でした。

 

 

岩国の「土曜夜市」で「つづらかご」を販売

1989 「岩国の『土曜夜市』に柿木村の物産を持って行き販売するのですが、

    参加しませんか。」とのお誘いを頂いた。

    なんだか楽しそうなのでいく事にした。行ってみると路上での販売。

    当時は物珍しさで、つづらかごは売れた。

   「次の土曜日も行きますか?」と、続いて参加する事に成った。

   

   その時私の思い付きでカブトムシ、クワガタ等を持って行くと売れるかも!

   と思いで、当時小学生に成って間もない長男と保育園の娘を連れて夜な夜な

   国道の街灯の下にカブトムシやクワガタをとりに行き、土曜夜市で販売。

   勿論、ここは子ども任せ!

   価格は岩国の子どもと、わが家の長男の交渉で決められていた。

   それが売れるので、わが家の長男は病みつきに成って毎回参加した。

   完売したと見るや、嬉しそうに近所のお店に駆け込み、お買い物!

   そんな長男の姿を、頼もしく見つめたものだが、

   保育園生だった娘には何の事だか分らない。

   ただ、お兄ちゃんの買ってきたものをおねだりしてもらっていた。

   私にとっても、息子にとっても忘れられない思い出と成った。

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