bk-pacha’s blog

私は島根の吉賀町でツル科の植物を使って「かご」を作っている者です。

作品展の予告です。

今年5月1~1ヶ月か月間、北広島町東八幡121-1「ぶなの里」で作品展を

する事に成っています。

其の為、そこに展示用のランプシェードを作ってみました。

このカゴに和紙をはり、灯などをともしてみると、

いいのではないかとに一人、にやにやしています。

 

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女性としてのハンディーは事のほか大きかった。

1999年 意外なところで、女性としてのハンディーが付いて来るものだと思った。

    長男の「妻」「嫁」「母」「ばーば」「個人」、

    そして「物づくり人」

    「それら全てを、しっかり受け止め、可能な限りを尽くす。」

    と、思っていた・・・ 

    

    しかし現実には、「自分の出来ること等、たかが知れている。」という事を

    思い知らされるのに、そう時間はかからなかった。

    建物が出来始めた。

    有難いと、心底 思った。

    そして、完成した。

    

 

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私は本来計算が苦手!

1998年、私は初めて真剣に計算した。

    残りの人生設計を含め、「置かれた場所で咲く」為に。

    それには、大変な試練が立ちはだかる事も知っていた。

    一か八かの勝負であってはならない。

    自分自身で一切を背負う覚悟がいるだけでなく、万が一の事もある

    その時の自分の働き方も考えた。

    身体が震えた。

    そして私は、大きな決断を下した。

    私は「ものづくり人」として、多くの課題を克服する為にその場所を作ると。

    

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再びカゴ作りを始めようと決意したものの・・・

私は、今後どこでカゴ編をするのだろうか。

考えるうちに改めて津和野の「つづら工房」から持ち帰ったツルを見た。

すると、ツルに虫やカビが生えていたのだ。

これは大変な事に成ったと思った。

この課題を克服しない限り、次のステップは踏めない。

 

いったいどうする!

 

具体的に案を練った。

いくつかの工程を加える以外ない。

それには、ある程度の設備が必要だ。

当然膨大な費用がかかる。

其の上、設備が整ったからと言って、課題の克服に繋がるという保証はない。

全身が硬直した。

お金はない。借り入れに頼る以外ない。

そこには、女性であり、嫁であるが故の厳しい現実があった。

 

そんな中、私は既に線を引き始めていた。

最低限の設備を整えるためには、どの程度のスペースが必要で、どのくらいの費用が掛かるのか知りたかった。

繰り返し、繰り返し書いた。大工さんの指示に従って書いた。

「うん、出来るかもしれん。」

そして、正式な図面が引かれ、見積もりが出た。

 

 

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やはり作りたい! 作り続けたい! と強く思った。

「ワイルドアート展」終了後、友の存在の大きさに改めて深く感謝した。

そして、動かなかった私の手が又動き出した。

大丈夫! 出来る! と自分に言い聞かせた。 そして・・・

 

1998年 再び津和野の「ぎゃらりー・与兵衛」で作品展をさせて頂いた。

    ここでもまた、友人が全面的に協力してくれた。

ありがとう! 友よ!

 

あなた方のお蔭で再び立ち上がれました。

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