津和野の「つづら工房」を止める。
1994年 観光地のため、全国からお客様がこられました。
温かいお言葉も数々頂きました。
同時に、私と同じものを作りたい人が来られるように成り、後に
「私も作ったのよ!」
「いや、家では材料はとったものの、編めないのでカズラは捨てた。」
自然界に失礼のないようにと心掛けている私にとっては、
いささか、胸が痛む思いがしました。
その上、わすれもしない衝撃的な一瞬の出来事がありました。
その出来事から二か月くらい後のことです。
野山で採れたツル科植物で作られたカゴが、雑貨用品として、
至る所で販売されるように成りました。
私の手は動かなく成りました。
津和野町に「つづら工房」出店
1992~1994
もっと多くの方の反応がみたくなり、自宅から通える範囲で人が沢山来られるところ。
と思ったとき、津和野以外にないとの判断をししました。
観光地津和野なら全国から人が来られる。空き店舗はすぐにみつかりました。
当時、真新しいそれは人の目を引きました。通行人の中には
「あれは何かい、あねえなもので商売が出来るんかい、わっははは!」
「原始人のようなことをするねえ。」等々
その反面、アドバイスや励ましの言葉を沢山頂きました。
私の期待通りの反応でした。
岩国の「土曜夜市」で「つづらかご」を販売
1989 「岩国の『土曜夜市』に柿木村の物産を持って行き販売するのですが、
参加しませんか。」とのお誘いを頂いた。
なんだか楽しそうなのでいく事にした。行ってみると路上での販売。
当時は物珍しさで、つづらかごは売れた。
「次の土曜日も行きますか?」と、続いて参加する事に成った。
その時私の思い付きでカブトムシ、クワガタ等を持って行くと売れるかも!
と思いで、当時小学生に成って間もない長男と保育園の娘を連れて夜な夜な
国道の街灯の下にカブトムシやクワガタをとりに行き、土曜夜市で販売。
勿論、ここは子ども任せ!
価格は岩国の子どもと、わが家の長男の交渉で決められていた。
それが売れるので、わが家の長男は病みつきに成って毎回参加した。
完売したと見るや、嬉しそうに近所のお店に駆け込み、お買い物!
そんな長男の姿を、頼もしく見つめたものだが、
保育園生だった娘には何の事だか分らない。
ただ、お兄ちゃんの買ってきたものをおねだりしてもらっていた。
私にとっても、息子にとっても忘れられない思い出と成った。
編んだ! ただひたすら編んだ。
義父の言った「つづら」を使って、ただひたすら編んだ。
すると、次第にその個性が掴めてきた。
当然、利点もあれば欠点もある、まるで自分を見ているようだった。
義父が「まぁー、懐かしいなぁ。つづらじゃぁなぁかな。」
山から持って帰ったツル科の植物を広げていると義父が来て
「まあー、懐かしいなあ。つづらじゃあなあかな!」
ニコニコしながら一本のツルを持ち上げた。
「ちぃさぁやあ、あんたいったいこれほどの物をどうするんかな。」
私が、カゴを編んでみたい胸を伝えたところ、
「そりゃあ、カゴを編むんじゃったらこのつづらじゃいな。これ以外のものじゃあ駄目でな。」
義父の話によると、昔はつづらで、背負いかご、腰かご、台所で使うメゴ、牛が仕事中に草を食べないようにする為に口に当てるものを作ったり、山では紐やロープの代わりとしても使われ、又、胃薬に成るというので煎じて飲んでいた話等をしてくれた。
私は、これだ!! と思った。