bk-pacha’s blog

私は島根の吉賀町でツル科の植物を使って「かご」を作っている者です。

私は本来計算が苦手!

1998年、私は初めて真剣に計算した。 残りの人生設計を含め、「置かれた場所で咲く」為に。 それには、大変な試練が立ちはだかる事も知っていた。 一か八かの勝負であってはならない。 自分自身で一切を背負う覚悟がいるだけでなく、万が一の事もある その時…

再びカゴ作りを始めようと決意したものの・・・

私は、今後どこでカゴ編をするのだろうか。 考えるうちに改めて津和野の「つづら工房」から持ち帰ったツルを見た。 すると、ツルに虫やカビが生えていたのだ。 これは大変な事に成ったと思った。 この課題を克服しない限り、次のステップは踏めない。 いった…

やはり作りたい! 作り続けたい! と強く思った。

「ワイルドアート展」終了後、友の存在の大きさに改めて深く感謝した。 そして、動かなかった私の手が又動き出した。 大丈夫! 出来る! と自分に言い聞かせた。 そして・・・ 1998年 再び津和野の「ぎゃらりー・与兵衛」で作品展をさせて頂いた。 ここでも…

私は津和野を引き上げました。

1994年 様々な事が重なり、私はその重圧に耐えきれませんでした。 もう二度と立ち上がれないと思ったものです。 1995年 一年間は、何も考えられませんでした。 思い出しては只、涙していました。 1996年 その涙も枯れ果てた時、「つづら工房」での残骸に目を…

津和野の「つづら工房」を止める。

1994年 観光地のため、全国からお客様がこられました。 温かいお言葉も数々頂きました。 同時に、私と同じものを作りたい人が来られるように成り、後に 「私も作ったのよ!」 「いや、家では材料はとったものの、編めないのでカズラは捨てた。」 自然界に失…

津和野町でも地域の方によくして頂き、沢山の友人もできました。

1992~1994 この間、作品展もさせて頂くように成りました。 * 町内のギャラリーをお借りして作品展をさせて頂きました。 * コミュニティーコミュニティーセンターで友人と作品展をさせ て頂きました。 * 倉敷の方との出会いを頂き、倉敷のお店でも作品展…

津和野町に「つづら工房」出店

1992~1994 もっと多くの方の反応がみたくなり、自宅から通える範囲で人が沢山来られるところ。 と思ったとき、津和野以外にないとの判断をししました。 観光地津和野なら全国から人が来られる。空き店舗はすぐにみつかりました。 当時、真新しいそれは人の…

岩国の「土曜夜市」で「つづらかご」を販売

1989 「岩国の『土曜夜市』に柿木村の物産を持って行き販売するのですが、 参加しませんか。」とのお誘いを頂いた。 なんだか楽しそうなのでいく事にした。行ってみると路上での販売。 当時は物珍しさで、つづらかごは売れた。 「次の土曜日も行きますか?」…

「つづら」との出会いを頂いたのは1985年

やはり「つづら」だけでは納得いかなかった。 様々なツルを使ってみた。 カゴのデザインは変化に富み、使えなくはないと感じた。 「つづら」との出会いを頂いた二年後の 1987年、無人市「荷車市」にカゴを出す頃には、チャレンジ精神でいっぱいだった。 1988…

編んだ! ただひたすら編んだ。

義父の言った「つづら」を使って、ただひたすら編んだ。 すると、次第にその個性が掴めてきた。 当然、利点もあれば欠点もある、まるで自分を見ているようだった。

義父が「まぁー、懐かしいなぁ。つづらじゃぁなぁかな。」

山から持って帰ったツル科の植物を広げていると義父が来て 「まあー、懐かしいなあ。つづらじゃあなあかな!」 ニコニコしながら一本のツルを持ち上げた。 「ちぃさぁやあ、あんたいったいこれほどの物をどうするんかな。」 私が、カゴを編んでみたい胸を伝…

私が「つづらかご」を編むようになったのは・・・

1983年、近所の友人から「私の友達に籐かごを編む人がいて、カゴの編み方を教えてくれるんだけど、ちづるさん行ってみない?」と誘って頂きました。丁度同じくらいの子どもがいて、お互い保育園に行かせるようになっていたため、空き時間が出来た処なので丁…

人様の前で初めての実演販売

荷車市からスタートした「つづらかご」道をこれからしばらくの間、振り返ってみたいと思います。荷車市での販売を始めて2~3年後、かきのき村の商工会さんから声をかけて頂き、商工会前で実演販売をしました。当時はまだ珍しく、カゴが編みあがるのを待っ…

初めて記事を書きます。

2017年1月19日初めてグログに書き込みます。皆さん宜しくお願い致します。 1987年 荷車市という無人市を出店しました。今から30年前の事です。 この無人市で「つづらかご」の販売をはじめました。